武生簡易裁判所 昭和42年(ろ)18号 判決 1974年11月21日
主文
被告人は無罪。
理由
第一、本件公訴事実の要旨とその後の訴因変更の経過
(1) 公訴事実の要旨
被告人は福井県武生市泉町二三番地においてせんべい製造ならびに販売業を営んでいるものであるが、昭和四二年四月八日午前一一時ころ、妻八重子とともに階下作業場において同所にあるせんべい乾燥機によってせんべいの乾燥作業を行なっていた。同乾燥機の製造は長さ一米三〇糎、高さ二五糎のガスコンロの周囲にコの字型の高さ七〇糎位の木枠を置きその上にせんべいを入れたせいろを載せて、プロパンガスの火熱でせいろの中のせんべいを乾燥させるようになっていた。またコンロの構造は、火口が四〇個横に二列に配列してあり、木枠の高さまで空間となっていた。
そこで右の様な状態で長時間使用放置すれば、場合によっては可燃物に燃え移るかあるいは一ヶ所の火口の火が万一消えればガスが附近に充満し、他方の火口からの火によって引火し、一度に火力が増して附近の可燃物に引火する危険があるので、右乾燥機を使用中は必ず附近において火気の状況を十分監視するなどして火災の発生を未然に防止する注意義務があるのにかかわらずこれを怠り、しかも同日午後五時ころ裏庭で子供が喧嘩しているのを見て注意制止した際、作業場南側の窓を約三〇糎開け、その戸を閉め忘れたまゝそのころ所用のため外出する際妻にも右乾燥機を監視するよう十分な連絡もせず外出した過失により、折柄の南西の風が開けた窓から吹き込んだため使用中のガスコンロの一部の火が消え、ガスが附近に充満し、一方の火口の火がこれに引火して燃え上り、乾燥機の囲い枠や附近の可燃物等に燃え移りよって現に被告人等の住居に使用する木造瓦葺二階建住宅一棟及び作業場一棟を焼燬したほか附近の別紙記載の建物六棟を焼燬したものである。
(2) 昭和四四年七月三一日付訴因変更請求書(同日付変更許可)(以下第一次変更という)による事実の要旨
被告人は福井県武生市泉町二三番地においてせんべい製造販売業を営んでいるものであるが、昭和四二年四月八日午前一一時ころ、妻八重子とともにせんべいを製造するため自宅階下作業場の北側にある乾燥機でせんべいの乾燥作業に従事していたのであるが、右乾燥機は長さ約一米三〇糎、巾約三〇糎、高さ約二五糎の特製プロパンガスコンロ(火口が四〇個横二列に並列しているもの)の周囲三方を高さ七〇糎の板で囲った木製枠で囲み、その上に木製のせいろにせんべいを入れ、更にその上に紙製の砂糖袋を載せて使用し、コンロの火勢によって右せんべいを乾燥させる装置で、木製木枠の横板までは空間となっているが、右コンロを長時間使用する場合は、木製横板の乾燥や、せいろの上の紙袋の、ガスの火の上への落下等より火災になる危険が当然考慮されるので、右乾燥機を長時間使用した後その場を離れる時は、作業場内に監視人を置くか、火を止めるなどして火災の発生を未然に防止すべき注意義務があるのにこれを怠り、前記乾燥機を長時間連続使用し、同日午後五時ころ自宅裏庭での子供の喧嘩を制止するため、同作業場南側の窓を約三〇糎開け、その戸を閉めないでそのまま作業を続けその直後所用のため外出するに際し、右コンロの火を止めず、かつ監視人を作業場内に置く等の注意をしなかった過失により、折から同作業場内に南西の風が前記の窓から吹き込んだため、せいろの上の紙袋が右コンロの火の上に落下し、火を発して乾燥機の木枠や、コンロのガス用ゴム管等に燃え移り更に同作業場床板に燃え移り同日午後五時二〇分ころついに火災となり、現に被告人等の住居に使用する木造瓦葺二階建住宅一棟及び作業場を全焼したほか附近の別紙目録記載の建物六棟を焼いていずれも焼燬したものである。
(3) 昭和四五年四月一四日付訴因罰条等の変更請求書(同年四月二四日付変更許可)(以下第二次変更という)による事実の要旨
被告人は武生市泉町二三番地において、せんべい製造販売等を営み、同所階下作業場でせんべい焼機せんべい乾燥機プロパンガスを使用してせんべい製造の業務に従事しているものであるが、昭和四二年四月八日午前一一時ころから右作業場においてせんべい乾燥機(その規模構造として第一次変更請求書のとおり記載)のガスコンロに点火し、右乾燥機の上に木製せいろを載せてせんべいを入れ、更にその上に砂糖袋を載せたまゝせんべい乾燥作業に従事し、午後五時ころ所用で外出するに際し右作業場内にナイロン、綿屑および乾焼機の木枠等のくん焼の臭いを感じたのであるからかゝる場合、被告人としては長時間使用の右乾燥機並びにその周辺を点検し、くん焼の有無、個所を確認し、ガスコンロの火を止めるか又は監視人を置くなどして火災の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、右乾燥機等の点検を行なわず、右コンロの火を止めず、監視人を作業場内に置くなどの措置を講じないまゝ外出した過失により、同日午後五時二〇分ころ、右乾燥機のコンロから木製枠に着火したかないしは砂糖袋または乾燥機附近にあった可燃物を媒介として木製枠に着火してコンロのガス用ゴム管等から同作業場床板に燃え移らせ、現に被告人の家族の住居に使用する木造瓦葺二階建住宅一棟および作業場一棟を全焼したほか別紙記載の建物六棟を焼いて、いずれも焼燬したものである。
(4) なお第二次変更において罪名を失火より業務上失火に、また罰条刑法一一六条を同法一一七条の二、一一六条一項、一〇八条、一〇九条とそれぞれ変更されている。
第二、当裁判所の判断
(1) 訴因変更の措置について
おもうに訴因の変更とはある訴因を撤回すると同時にこれに代えて新たな訴因を掲げることであるから、変更後の新訴因が審判の対象となるべきものであるが、検察官は訴因の第二次変更後(昭和四六年一月二六日の第一三回公判)において出火の原因として(イ)南西の風が作業場の開けた窓から吹き込んだため使用中のガスコンロの一部の火が消えて、ガスが附近に充満し一方の火口の火がこれに引火し延焼した(ロ)作業場南側の窓を約三〇糎開け、戸を閉めないで作業を続けたため、折柄の南西風が窓に吹き込み、せいろの上の紙袋が火の上に落下し延焼した(ハ)乾燥機のコンロから木製枠に着火したかないしは砂糖袋又は乾燥機附近にあった可燃物を媒介として木製枠に着火したかのいずれかであると主張している。失火罪において出火の原因経過は被告人の注意義務を判断するための因果の系列をたどる上において重要であり、本来変更後の訴因―出火原因―を中心として考察すべきであるが、検察官の右主張は訴因としての出火原因を択一的に主張するものと解されるので、まず出火原因について考察し、次いでこれに対応する被告人の過失につき判断することゝする。
なお弁護人は第二次訴因変更に関し、要旨次のように主張する。すなわち再度にわたる訴因の変更は、検察権ないし公訴権の濫用である。公訴事実記載の着火経路(前記(イ))は出火の原因(訴因)としての核心的部分であったが、検察官の立証活動によって成り立たないことが明白となったのであるから公訴取消が至当であった。にもかゝわらず、被告人を有罪にしようとする意図ないし偏見から、第一次変更請求書の着火経路(前記(ロ))を訴因として主張するに至った。そしてこの訴因の核心的部分が立証できないとなるや更に第二次変更請求書の着火経路(前記(ハ))に変更したい旨の請求をした。このように犯罪事実の証明ができないという理由のみで再度にわたり訴因変更請求がなされ、これら違法な手続のため被告人の人権および防禦権が著しく侵害された。よって刑訴法一条の精神に著しく反するものであるから同法三三八条四号により公訴棄却せらるべき事案である。
検察官の再度にわたる訴因の変更は、被告人側の防禦の範囲をひろげ、その負担を重くしたことは否定しえない。更に訴因変更後においても変更前の訴因として掲記されていた出火原因を択一的に主張していることも捜査の不充分を裏付けるものといわざるを得ない。また弁護人指摘のように弁護人に交付された訴因変更請求書謄本(第一次変更に関するもの)の内容が原本と相違する(この点は弁護人より提出された書面の記載自体より明らかである。)などの点は訴訟手続の適正という観点よりすれば遺憾であるがだからといって公訴提起ないし訴因変更の手続が法規に違反し、これを無効ならしめるとまではいえないので、本件公訴を棄却すべきであるとの右主張は採用しない。
(2) 焼燬の事実と出火場所
≪証拠省略≫によると、昭和四二年四月八日午後五時二〇分ころ、武生市泉町二三番地所在の被告人方家屋(木造瓦葺二階建で間口奥行とも約一三、五メートル)より出火して同家屋が全焼したこと、当時同家屋は被告人、妻八重子、長男一弘、次男信二、母初恵、祖母きくの六名が住居として使用しており、かつ右家屋において被告人夫婦と初恵がせんべい等を中心とした菓子製造販売を営んでいたことが認められる。
また出火場所については、≪証拠省略≫により、被告人方の右家屋のうち東北隅に位置するせんべい乾燥等の作業を行う仕事場と称する場所であったと認められ、≪証拠省略≫によれば右の火災によって被告人方家屋のほか別紙記載のとおり現に人の住居に使用している家屋二戸を全焼し、また人の住居に使用している家屋三戸と他人が倉庫として使用している建物一戸計四戸を半焼したことが認められる。
(3) 出火場所の構造、設備
右出火場所と認められる仕事場は、≪証拠省略≫によると居住部分と別棟となっていて、せんべい乾燥機とせんべい焼機の置かれた南北二、八五メートル東西四、六五メートルの部分(以下作業場という)とその西側に南北一、八メートル、東西四、七メートルの砂糖づけをしたり製品を置いたりする場所とで構成されており、地上約一〇糎の高さに床板が張られていて二枚の引建戸によって仕切られて、その西側は車庫となっていた。
右の作業場は内装がベニヤ板張り、外装と屋根はトタン張りとなり、南に面して床上約八〇糎位から上へ高さが約一、二メートル巾約一、八メートルの窓が設けられていてその西側半分はせんべい製造に使う流し台となっていて、東側半分が開閉できるようになっていた。そして作業場内部のせんべい焼機せんべい乾燥機各一台はプロパンガスを熱源としており、作業場の北西屋外に置かれたボンベへゴムホースによって接続されていたことが各認められる。
(4) せんべい乾燥機の状況
≪証拠省略≫によるとせんべい乾燥機は、ガスコンロと木枠によって構成され、コンロは鉄管製二列火口串型ブンゼンバーナーと称するもので、エ型のバーナーが四組横に並んで鉄製の外函に入っている。そしてこの外函は巾約九八糎、奥行約三八糎、高さ約二八糎となっておりその上へ高さ約五二糎のコの字型となった木枠を載せた構造のものであること、乾燥しようとするせんべいをせいろと称する周囲が木製で底に竹を編んだ箕の子を敷いた高さ約一〇糎の容器に約三〇〇枚位入れ、これを二段重ねにして上部に熱効率をよくするため砂糖の空袋をかむせてコンロの木枠に載せ下からの直接加熱によって乾燥する方法であったことが各認められる。
(5) 出火原因について
≪証拠省略≫によれば、本件火災当日初恵は四国方面へ旅行に行って不在であり、被告人と八重子は前日深夜までせんべいを焼き、当日午前一〇時ころよりせんべいに砂糖づけをして、午前一一時ころ八重子が右乾燥機の二本一組になった四組のバーナーのうち左端のものと、左から三番目のもの二組に点火し、炎が一糎ないし一、五糎位になるように調節し前記の要領でせんべい乾燥にとりかゝり、出火当時までこれを継続していたことが認められる。
そして≪証拠省略≫によると火災を最初にみつけた時は作業場のせんべい乾燥機附近が赤くなっていたこと、当時作業場では他に火気を使用していなかったと認められることから当時使用中であったせんべい乾燥機より火を発したと認められる。
そこで発火の経路について考えるに、検察官の主張する出火原因のうち(イ)(ロ)はともに作業場南側の窓が約三〇糎開いていたことを前提とするものであるから此の検討がまず必要である。≪証拠省略≫によれば、当日午後五時少し前ころ、作業場でせんべいを入れ替えている際裏庭で子供がけんかしている様子であったので該窓を三〇糎位開けて注意しそれを開けたまゝにして仕事を続け、その後作業場を出たことが認められる。被告人は公判廷において一旦開けた窓を閉めたと供述し、右供述調書の記載は供述したことゝ相違していたが、取調官から叱られたり、身体も辛かったので窓が開いたまゝであったという趣旨の記載になったのであろうと述べている。
しかしながら、被告人は火災の翌日行なわれた司法警察員の実況見分の際にも窓が開いていたとその間隔を指示して説明しているのみならず、火災後約七ヶ月経過した時点での検察官の取調べにおいても(第一回公判において被告人は検察官に対して供述した内容は間違いない旨供述している)南側の窓を開けたまゝその後閉めた記憶がないと供述しているので右公判廷での供述は措信できない。
ところで≪証拠省略≫によると、乾燥機バーナーの炎は安定でなく、直接毎秒三ないし四メートルの風が当ると消える可能性はあるが、三方をコの字型木枠で囲まれている関係から、開放された側より風が吹き込まない限り消え難いと認められる上に、仮に二組のバーナーのうち一組が消えた場合一時間あたり二〇〇リットル以下のプロパンガスが噴出するが、他の一組が点火されている関係で上昇気流があり、バーナーから出るガスは上方へ向け噴出するので上方に拡散することゝなり、一方作業場には前述のとおり面積約〇、三六平方メートル(高さ約一、二メートル、巾約三〇糎)の開いた窓があった訳であるから、毎秒平均一〇メートルの風があったとすると三、六〇〇リットルの新らしい空気が入ってくるので、その空気に対し、バーナーから噴出するプロパンガスの量は少ないので、滞留して火災の原因になるとは考えられず従って(イ)の出火経路は否定せざるを得ない。(布施田鑑定において引火の可能性を否定していないが此の場合、爆音、爆燃を伴う爆発を生ずるというのであって、三〇ないし四〇メートルの距離において人を驚ろかせる程度の爆音があったと認むべき証拠もないので右の結論に変りはない)
次に乾燥機のコンロから木枠に着火したか、砂糖袋又は附近の可燃物を媒介として木枠に着火したとの経路(検察官主張の(ハ))について、まず前段については木枠より発する可燃性蒸気に引火する場合と、木枠に直接着火する場合の双方が考えられるが、布施田鑑定によると前者は常時乾燥に使用している木枠であるから乾材となっていて可燃性蒸気が発生しないから否定すべきであり、後者については同鑑定によるとバーナー二組に点火した状態においてせいろの底の部分で七五度C、木枠中央タルキの部分で五一度Cでありそれ以上の温度上昇は期待できないから木枠の横板がバーナーの炎による過熱で着火する危険性は極めてすくないから前同様発火の可能性は否定されると云わなければならない。
また後段については検察官において砂糖袋その他の可燃物がどのような経路によって媒介物となったかについて明らかにしないしかつ本件証拠上もこれを認めるに足るものがないので否定すべきである。
そこで作業場南側の約三〇糎開いていた窓より南西の風が吹き込み、せいろの上の紙袋がガスコンロの火の下へ落下し延焼したとの点(検察官主張の(ロ))について検討するに、まず当日の気象条件が問題となる。福井地方気象台より武生警察署あての「気象状況照会に対する回答」と題する書面によると、火災前日である四月七日福井地方気象台において「晴天が続き空気が乾燥して火災が起き易い気象状態となっているので火の元に注意」なる趣旨の異常乾燥注意報を発表し、四月八日に更新されていること、四月八日の朝低気圧が黄海に現われ、その後日本海を北東へ進んだので同日の福井県地方は南寄りの風がやや強く、フェーン現象を起す気象状態となり、湿度は四〇パアセント台に下っていたこと、同気象台観測による四月八日午後四時の気温は一六、八度、湿度四六パーセント、風向南々東風速七、八メートル毎秒、高ぐもり、同五時におけるものは一五、九度、五三パアセント、南々東の風八、三メートル毎秒、本ぐもり、であったことが各認められる。
一方≪証拠省略≫によるとせんべい乾燥の際せいろの上へのせていた紙袋は三〇瓩入りの砂糖の空袋であり、クラフト紙と呼ばれるもの五枚重ねで重量は約三五〇グラム、大きさは縦八八糎、横四一、八糎位でほゞせいろ一杯を被う状態であったことが認められる。ところで≪証拠省略≫によると、重量二七〇ないし二七六グラムの砂糖用紙袋は、戸外実験(≪証拠省略≫によると此の方法は屋外の広い平坦な場所に砂糖袋を置き、自然の風を利用して各種の風速の場合を測定したものと認められる)では風速二メートルないし三メートルでも風で飛ばされることが認められるから、≪証拠省略≫によるとせんべい乾燥機は作業場南側窓の内側約一、一メートルから北側約に設置されており、せいろの上辺は窓の敷居より二〇糎位上に当るので、前認定の気象条件と相俟ってせいろ上の紙袋が風によって落下したものと認めるのが相当である。そしてこの紙袋が直接バーナー上へ落ちて燃焼することによって、乾燥機へ接続されているゴムホースに着火し、これが溶けてその部分よりプロパンガスが噴出してこれに引火して発火したか、或は紙袋が一旦床上に落下した後風によって移動してバーナーの炎に触れ、前同様の経過を辿ったものと推認される。第四回公判調書中証人黒川優助の供述記載によると、同人が消火器を持って被告人方へ行った際、作業場の床が一坪ないし二坪位オレンヂ色を呈し油が燃えている様な感じで火炎が上っているのを見ていること、第五回公判調書中笹谷正の供述記載によると、同人が車庫から消火のため被告人方へ入った際、熟した柿のような色の炎を見ていることからも、最初はホースから直接噴出するプロパンガスの燃焼であったとみることができる。
(6) 被告人の注意義務
検察官は被告人について使用中の乾燥機の傍を離れるときはその火をとめ、或は監視人を置きまたは妻八重子に十分注意するよう連絡するなどして火災の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるとし、このような措置をとるための予見可能性として、被告人が外出する際南東の強風が吹いており、作業場の窓が開いていたのであるから(一)乾燥機をそのまゝの状態で長時間使用放置すれば、場合によっては可燃物に燃え移るか或は一ヶ所の火口の火が万一消えればガスが附近に充満し、一方の火口からの火によって引火し、一度に火力が増して附近の可燃物に引火する危険があった(公訴事実)(二)右乾燥機のコンロを長時間使用する場合は、本製横板の乾燥やせいろの上の紙袋の燃えているガス上への落下等により火災になる危険が当然考慮される(第一次変更による訴因)と主張している。
なお第二次変更による事実においては具体的予見可能性を主張することなく、被告人が外出する際作業場内にナイロン、綿屑および乾燥機の木枠等のくん焼の臭いを感じたのであるから乾燥機およびその周辺を点検すべきことゝ、ガスコンロの火をとめるか又は監視人を置くなどして火災の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これらを怠ったとしている。しかしながら被告人が外出するに際し作業場内にくん焼の臭いを感じたとの点はこれを認めるに足る証拠はない。(被告人が外出する際にナイロンか綿の燃える様な臭いを僅かに感じたという趣旨を司法警察員および検察官に対して供述しているが、近所に綿屋があってそこで燃やす綿屑か或いはせんべい包装に当ってビニール袋の口を閉じるシーラー機から発する臭いとも考えられる)よって検察官主張の如き注意義務を被告人に課すことはできない。
ところで客観的注意義務の前提としての予見可能性は、現に通った因果関係を細部にわたりすべて予見しうることを必要とするものでないこと勿論であるが、単に漠然とした危惧感といったもののみでは十分でなく、結果についての具体的な予見可能性でなければならない。そこで被告人につきこうした予見可能性が認められるかどうかを考察する。
(イ) 本件火災当日の気象条件は前記(5)において認定したとおりであり≪証拠省略≫によっても突風があったことが認められ、(≪証拠省略≫によれば当時の風速は一二、三メートルであったと述べているがこれを裏付ける証拠は存しない)また作業場南側の窓が約三〇糎開いていたことも前記のとおりである。しかしながら乾燥機を午前一一時ころより午後五時過まで使用していた場合においても、検察官の主張するようにガスコンロの火が直接木製横板(木枠をさす)へ引火ないし着火する可能性のないことは前にみたとおりであり、また一組のバーナーのうち二組の火が消えてガスが噴出し、他方の火がこれに引火する可能性についても同様であって、右の出火経路は証明されたとはいえないから、かゝる因果関係を前提として被告人に対し注意義務を負わせることはできないといわなければならない。
(ロ) 一般にプロパンガスを熱源とした火気を継続使用している場合に、これを取り扱っている者としては可燃物がこれに触れた場合容易に燃焼し、他へ延焼することのありうることは予見可能のことである。
しかしこれは漠然とした危惧感にすぎず、これをもって結果回避の措置を求めることは適当でないが、かゝる危惧感を基本として、当日はやゝ強い南東の風が吹いており、かつ乾燥機の位置が作業場南側の窓より一、一メートルという近距離であったこと前記のとおりであるから、燃焼中のコンロには上昇気流があり、南側の窓が開いていた場合には、偶々吹き込む風と相俟ってせいろに被せてある紙袋が落下することもありうるし、これが落下した場合、点火中のバーナーに触れて燃え、乾燥機に繋いであるゴムホースを溶かすなどしてガスを噴出させ発火の危険を生じさせることは予見しえないこととはいえない。
(ハ) そこで右のような危険を防止するための措置を本件被告人に課すことが相当かどうかについて考えると、≪証拠省略≫によると、当地方におけるせんべい製造業者は殆んどせいろの上へ砂糖袋を被せてせんべい乾燥作業を行なっていたこと、証人月尾初恵に対する尋問調書によると同証人は昭和一二年ころよりせんべい製造の仕事に携わってきたところ、戦後になってからはせいろの上へ空の砂糖袋を載せて熱効率をよくする方法をとっており、被告人もよくこれを知っていたこと、そしてせんべい乾燥作業は一回に一時間余を要するので常時傍にいる訳でなく、一五分ないし二〇分おきに見廻って火気と乾燥の具合をみるといった状態で推移してきたこと、乾燥作業中にも配達のため他出することがありそのときは残った者が火気管理に当ってきたこと本件以前にはせいろの上の紙袋が風で落下するなどの危険が生じたことはなかったことが認められる。
次に月尾八重子の司法警察員に対する供述調書によると、同女は乾燥機の構造をよくしっており、その操作にも習熟していたこと、≪証拠省略≫によれば、本件当日乾燥機に点火し、せいべいの入ったせいろを載せたり、紙袋を被せたりした後正午前に作業場を出て、これに続く店舗で包装の仕事をしており、少くとも一、二回はせんべいを乾燥機近くまで取りに行っていることが認められる。
≪証拠省略≫によると、被告人は午後二時過まで砂糖づけをしており、その後は二〇分ないし三〇分おきに作業場へ行ってせんべい乾燥の様子をみたり、これを入れ替えたり、また店舗で包装の仕事を手伝ったりしており午後五時ころには往復約一五分のところにある国鉄武生駅へ商品を届けるため車で出発し、八重子も被告人の行先用件を了知していたことが認めるれる。
以上の状況を綜合すると当日のせんべい乾燥作業は、被告人と妻八重子が共同で行なっていたものであって、被告人が外出した後の火気管理の責任は八重子が負うべきものであり、被告人としては特段の事情のない限り、共同作業者である八重子が危険の発生を防止するため適切な行動をとるであろうことを信頼してよいといわなければならない。そして右せんべい乾燥のやり方が被告人方において従来とってきた方法となんら異らず、また当地方のやり方とも合致しておりその他特段の事情にあたるものも証拠上見出し難いので、検察官指摘のように外出に当り火をとめるとか、監視人を置くまでの注意義務は被告人にないといわなければならず、外出にあたり妻に十分注意するよう連絡すべきであるとの注意義務についてもまた同様である。
(7) 結論
以上のとおり被告人につき検察官の主張するように本件火災を未然に防止するため乾燥機の周辺を点検したり、その火をとめたり、作業場に監視人を置いたり、妻八重子に十分注意するよう連絡をとるべき注意義務があったとする点について証明がないことゝなるので、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡をする。
よって主文のとおり判決する。
(裁判官 鈴木登)
<以下省略>